2004年06月26日
川俣晶の縁側歴史と文化歴史資料館巡り total 4374 count

渋沢史料館

Written By: 川俣 晶連絡先

 今日は渋沢史料館に行ってきました。

 ここに行かねばならない強い理由はなかったのですが。以前に、北区飛鳥山博物館に行ったときに周囲に気になる施設があることに気付いたことと、今日はたまたま飛鳥山に出るのに便利な場所に居たので、行ってみることにしました。

 実は昨日から父が癌研の付属病院に入院していて、そこにお見舞いに行っていたのです。病院から都電の巣鴨新田の駅が近いのです。(JR大塚駅よりずっと近い)。そこから都電に飛び乗れば、飛鳥山はすぐ近くです。ちょっと立ち寄るのに、これほど好適な場所もありません。

 というわけで行ってみました。

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渋沢栄一についての資料を展示する §

 渋沢栄一とは、明治時代の偉人の一人と言うことになります。

 この場所は、かつて渋沢栄一が住んでいた場所です。そこに史料館が作られたようです。

 個人的に最初に渋沢栄一という名前を明確に意識したのは、田園調布を作った人物として猪瀬直樹氏の本に出てきたのを読んだときでしょうか。

 そのあと、しばしば全く予測できない場所で名前を見かける謎の人物でした。

 こうして史料館の展示を見ると、一人の人間がやったとは思えない幅広いことを行った人物であることが分かります。謎の人物という印象を持つのも当然ですね。

道徳経済合一説・仁義道徳と生産殖利はともに進むべきもの §

 渋沢栄一は、道徳と金儲けは両立する、という説を唱えたと言います。これを道徳経済合一説と言うそうです。

 西洋的なお金儲けと、東洋的儒教的な道徳は相反する考えるのは間違いで、1つに合わせて使うべきだと言います。

 こういう考え方が正しいのかどうかは分かりません。成功者の言葉であれば耳を傾ける価値があるという考えもあるだろうし、成功者が自分の成功の理由を正しく把握しているとは限らない、という考え方もあるでしょう。

 ただ、最近、何かの行動の歯止めとなる社会規範のようなものが必要ではないか、という気持ちがあって、もしかしたらそれと関係があるのかもしれないという感想を持ちました。基本的に、誰もが完全に利己的かつ合理的に行動すれば、自然と社会秩序は生まれていくような気がします。人は一人では生きていけない以上、究極的に利己的な態度とは他人への気遣いを生み出すはずです。しかし、実際には完全に利己的かつ合理的になど行動することはできず、目先の利を求め、自分に不利な行動を取ったりします。それは知の未熟さに起因する行動であるような気もするし、そもそも「完全に利己的かつ合理的」なるものが定義できないために、それを確実に選択することは不可能と言えるかもしれません。つまり、人は誤った行動を取ります。その誤った行動が、破滅的な結果をもたらさないために、何らかの「行動の歯止めとなる社会規範」が必要なのではないかと。それは、一種の自由の制限という側面を含みます。(言い換えれば、現実的に最も利己的な行動を選択する場合、そこに自由の制限が含まれるという解釈があり得るということです)。そういうことから考えると、ある種の自由の制限である儒教的な思想が、金儲けと1つの思想体系の中に位置づけられるというのは、とても合理的であるような漠然とした印象を受けました。もちろん、漠然とした印象であって、正しいかどうか分かりません。

庭園は見学できず §

 史料館の建物の2階の展示を見て、1階の映像を途中から最後まで見て、そのあと歴史的な建物が2つ残る庭園に行こうと思いました。しかし、既に門が閉じる時間になっていて、入ることはできませんでした。残念。

 これまたいずれの機会ということで。